アラフォー独女の暇つぶし

人生は楽しい暇つぶし

自殺しようとしてたの忘れてそのままバイトに行って帰ってきたら

驚く女の絵
こんにちは。まりもです。

あれは25歳の夏。うつ病をわずらっていた頃の話。当時通っていた精神科の医者はあからさまに金儲け主義だった。

ドクタードクター「調子はどう?薬効いてる?」

 

憂鬱な女の絵私「調子?悪いですよもちろん。薬ぜんぜん効いてる気しないです」

 

ドクタードクター「じゃあ薬増やしてみるね!」

 

憂鬱な女の絵「はい・・・」

という会話を毎週繰り返し、薬の量がどんどん増えていった。その精神科医はわたしの心の病の原因が何かとか、なにがきっかけて鬱になったのかといったことをいっさい聞かなかった。ただ薬が効いてる気がするかどうかをたずね、「効いてる感じがしない」「よく分からない」と答えるとどんどん薬を追加し量を増やしていった。

問診の間、わたしのことをただの「頭のおかしいやつ」と思っていることがはっきりと伝わってきたし、まともに患者と向き合う気がないこともその態度から明らかだった。薬をどんどん出して稼いでおかなくちゃ(ケケケ)。ただそう思っていただけだろう。

でもわたしにとってそれは都合が良かった。たくさんの薬を簡単にためこむことができたのだから。

精神科の薬では死ねない

薬を大量に飲んだとしても、精神科で処方される薬では死ねない。そこまでの強い作用はない。そのように噂で聞いていたしそれは本当だろう。抗精神薬を飲んでそれで自殺しようなんていうのはただの狂言であり本気で死にたい人のすることじゃない。

わたしも分かっていた。死ねないだろうということは分かっていた。けれどたまにそうやって死ぬふりをしてみることでほんのすこし自分が生きているという罪悪感から逃れることができたのだと思う。わたしは死にたいし死ぬ努力もしている、本当に苦しい、本当に苦しいのだと誰かに知って欲しかった。

本当に死ぬ勇気はないし、それにほんの針の先ほどかもしれないけれど、希望は失っていなかった。

決行

何度目かの、気休めの自殺劇をこの日も決行した。ためこんだ薬をたくさん、そしてビール。それからこの日はもうひとついつもとは違う工夫を付け加えた。ちょうどお昼頃だったと思う。わたしはすぐに眠ってしまった。

寝る女イラスト

記憶を失う

目を覚ました。時計を見ると夕方の5時、バイトへ行く時間だった。「ああ、もう起きて行かなくちゃ」急いで用意をして一人暮らしの家から徒歩10分のところにあるお店に向かった。

いつも通りに仕事をした。接客業だったがまったく愛想笑いもせず無表情で働いた。他のバイトや店長と話をすることもほとんどなかった。それでも誰も文句を言わなかったからこの職場はわりと居心地が良かった。夕方から5時間か6時間の勤務というのも夜型になりがちなうつ病患者には都合がいい。にこにこすることを求められたり昼間の仕事はとても無理だった。

バイトを終えてアパートの部屋に帰った。202号室。鍵を開けて部屋に入った。そこで異変に気付いた。ガス臭いのだ。わたしは料理をしない。アパートにはもともとガス台がついていなくて自前で用意して置くようになっていたが、料理をする気がなかったからそのままガス台無しで暮らしていた。ガス栓を調べてみたら開いていた。

「誰だろう?誰がガス栓を開けたんだろう?」

怖くなった。鍵は閉まっていたから、誰かが鍵を開けてガス栓をひねってそしてまた鍵を閉めて出て行ったのだ。なんのために?わたしの命を狙っている?

殺される・・

誰かがわたしへの嫌がらせのためにわたしを殺そうとしている、本気でそう思った。

これを読んでいるあなたはもう気付いているだろう。自殺劇のために薬を飲み、作用を強めるためにアルコールを飲み、そしてもうひとつ、今回はガス栓をひねっておいたのだ。そのことをわたしは忘れていた。いや、正確に言うと今も思い出したわけではない。ただ、自分でそうしたのだろうと、あとでうっすらと思ったのだ。

アパートには通気口があり、それは完全に閉めることができなかったから建物や他の住人に危害が及ぶことはない。そのことも分かっていて、プラスアルファのおまけをつけておいたのだろう。

自分でガス栓をひねったであろう記憶がすっかり消えていた。そして誰かに狙われているという被害妄想を抱きながら数日を過ごした。

バカなわたし

何日か経って、ガス栓をひねったのはきっとわたしなのだろうと思うようになった。自殺しようとしていたことすら忘れて普通にバイトへ行ってしまった。なんて馬鹿でまぬけなんだろう。

死ぬのは無理だ。わかっている。そんな勇気はないのだ。ただこの世に存在して息をしている、その事実だけで苦しかった。だけど死ぬことはできない。生きているしかないのだ。

そこでちょっと考えてみた。バカな頭で考えた。どんな人生なら生きていたいと思えるだろう?と。

もしも誰かのために生きられるなら

お金がたくさんあったらどうだろう?広くてきれいな新築の家に住めたらどうだろう?美容整形をして超美人になってみたら?

いろいろ考えてみたけれど心が動かなかった。自分が良い思いをすることに興味がなかった。なにひとつ自分のために何かしようとは思えなかった。友達(ネット世界に限られた友達)が「シッタカブッタ」を読むといいよ!と勧めてくれたので読んでみたがそれもまったく役に立たなかった。

ただ、もしわたしが生きていることで誰かの役に立つとしたらどうだろう?ふとそう思ったときに、胸の奥でほんの小さな躍動が起こった。自分のためには生きられない。だけど誰かのために生きられるとしたらどうだろう?こんな命でも役に立つことがあるのならまだ生きていてもいいかもしれない。

自分がどのように役に立てるのかはさっぱり分からなかったし、それからも相変わらずわたしは自分のことなどはどうでもよく、この世から消えて無くなりたい欲求もあったけれど、でも生きていた。未来には何かあるような気がしたから。

人間のもつ究極的な欲求

人は役割をもって生まれてくる。みんな必ずこの世で何かの役に立っている。たとえ短い命でも、障害があっても、なにかしらギフトを残していくのだ。

ちょっとここでお金持ちになった人の話を聞いてほしい。金持ちや資産家は仕事をせずに優雅な暮らしをしている。そんなイメージをもっているかもしれないが、そうではない。すでに有り余るくらいのお金をもっていそうな有名人や芸能人を見てほしい。彼らは簡単に引退したりしない。お金が働くことの目的ではないからだ。

十分にお金を手にしてもほとんどの金持ちは働き続ける。それはなぜか?何不自由することがない状態になったときにも消えることがない欲求がある。人間が最後の最後まで持ち続ける願い、それは社会貢献がしたい、人の役に立ちたいという欲求だ。

そのために大企業の社長は死ぬまで仕事をやめないし、人気TV番組の司会者も最後の最後まで仕事を続ける。「他人の役に立ちたい」「誰かを喜ばせたい」と人は本能的に思うものなのだ。

他人のことなど考えている余裕はないよ、そういうときはもちろんある。そういうときの方が多いかもしれない。それでも生まれる前に決めてきた「自分の役割」を全うしたいという欲求は消えることがないのだ。

あなたは何をするために生まれてきた?

思い出してほしい。もし忘れているなら思い出そうとしてみて欲しい。あなたは何のためにこの世に来たのだろう?なにをしたくて、何を人に教えたくて、ここへやってきただろう?すべてはその目的のために起こっている。

つらいことも悲しいことも、逃げ出したい経験もすべて、目的を果たすために起こったことだ。きっと大切な役割がある。重すぎる重荷を背負っている人ほど大きな役割を果たすことができる、その能力をもって生まれてきている。

何も間違いはないから、自分を責めることなく、先へ進んでいこう。わたしもここで生きている。